個展中止のお知らせ
このたびの未曾有の地震、津波。被災され今も困難と悲しみの中におられる方々にこころからお見舞い申し上げます。

17日(木)より「楽風」で開催予定しておりました谷口 幸三郎展 えをかくせいかつ 「紙の人土の人」をギャラリーとも相談し中止することを決定いたしました。

計画停電の実施での交通機関の混乱、十分な作品の鑑賞の環境が整えられない、引き続き起こる余震などを考慮しての判断です。
搬入するばかりとなっていた絵画作品50点、陶芸作品80点は機会をあらためてご覧いただきますよう後日またご案内いたします。

困難なこと、不安なことに眠れぬ夜は詩を読んだり、聖書をひらきます。
被災地宮古がでてくる 井川博年の詩を紹介します。

駄目になった。
十代から二十代にかけてぼくは
新聞をよまなった。
テレビも見なかった。
友人以外と付き合わなかった。
働くようになってもいつもひとりで昼食をとり
ひとのいない所で寝ていた。
服は一着しか持たず靴も一足しかなかった。
一組の布団と洗面用具
引越しの時は布団袋をかついで電車に乗った。
本を持たなかった。

ランボー全集と友人の詩集以外なかった。
五人の友と五冊の本がすべてで
月末は本と布団を質に入れ
友人の下宿を転々とした。
空腹が平気だった。
上京して一年間は一日一回
渋谷百貨店で天丼を食べた。
明日がこわくなかった。
何処でも眠れた。

アルバイトをしてものを買うのを軽蔑していた。
死ぬのもこわくなかった。
街を歩いていても電車に乗っていても
いまこの場で死んでもよいと常に考えた。
二十代の初め岩手の宮古港で
漁船の事故で眼が見えなくなった時も
助け出された病院のベッドに横たわり
わが生涯は詩集一冊出して終われりと思っていた。
助けを求めなかった。

二十代の半ばに香港に渡って
場末の宿で金を使いはたした時も
中国国境の禅寺に行き両親の長寿は祈ったが
自分自身には祈らなかった。
それが駄目になった。

好きな女性ができた。
少しでも一緒にいたくて
とうとう結婚した。

新聞をとった。
背広を買った。アパートの入口に表札をかかげ
会社に入り名刺を作った。
洗濯のきいた下着を着て
弁当を持ち職場で皆と一緒に食べた。
駄目になった。

子供ができた。
電化製品を揃えた。
お風呂に家族で入った。
あまつさえ
晩酌を覚え
少しずつ太っていった。

駄目になった。
すべて
人生はながい

詩集:「そして、船は行く」より

聖書から

ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブを元どおりにし、さらに主はヨブの所有物をすべて二倍に増された。(ヨブ記42-10)

胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。

あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。
あなたがしらがになっても、わたしは背負う。
わたしはそうしてきたのだ。
なお、わたしは運ぼう。
わたしは背負って、救い出そう。(イザヤ書46-3.4)

被災者の上に主の慰めと励ましがありますように。